とある方とお話をしました。
「キャラを作るのは、本性が傷つきたくないからだ」と言う意見がありました。
たしかにそれは言えるでしょうね。本来の自分が現わにならないように、キャラを作ったり適当な事を言ったりと表面を取り繕うんでしょう。これはごく自然な行動だと思うし、とても理解できる。
「キャラなどを作らずに自然のままを出せばいい」と続けて言われました。
それも間違ったことではない。「ありのままの自分を出して、他人の評価など気にしないで生きれば良い」とも仰いました。
しかし、少し時間が経ち、思いました。
「どちらも大差ない思考なんじゃないか?」と。
前者は「傷つきたくないからキャラを作る」、後者は「傷つきたくないから気にしない」と。
人は基本、社会の中で生活しなければならない。社会というのは何で形成されているかを考えると結局「人」なのだ。自分以外の人とどのように共存していくのが良いのか?というのが人にとって最大のテーマのような気がする。
そして、人は基本は弱いものだと思うのです。生弱説とでも言いますか、人は生まれながらに弱いものであり、その本質というのは成長していっても変わらないものだと思います。成長の過程において、社会の中で「生きやすい」術を考えていき、身につけていくのではないかと。キャラを作って生きるのも、ありのままをさらけ出すのも、各個人が「生きやすい」と思った方法なだけ。正しいも悪いもない。
解離性同一性障害になってしまうプロセスというのは「前者」の果ての姿かなと思う。その人のおかれた環境は他よりか特異かもしれないけど、障害になってしまうメカニズムは特異ではないんじゃないかなと思う。
人は基本的に弱いものだと理解し、その上で社会に適応するためにどのような選択をするか。そう考えると少しラクになったりする。自分は本来強いのになんてものは幻想。
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